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内面から借金問題を解決してゆく 1
借金はあなたの命を奪わない
現在、借金でお悩みの方はとても苦しんでいるはずです。とても辛い思いをしているはずです。どんなに楽しいことをしていても、常に頭の片隅では「次の返済をどうしよう」とか「この債務をどうすれば良いのだろう」と言った言葉が次から次へと湧きだしていることでしょう。
お金は、社会人が生きていくためには不可欠なものです。ただし、繰り返しになりますが、お金はあくまでも人が社会人として生きていくために不可欠だという話です。
お金がなくても命を続かせることはできます。
極端な話、どこか人の目につかない山奥で、ひっそりと家庭菜園を築き、魚を釣って暮らしてゆくのであれば、お金はかかりません。ですから、突き詰めた先においては、借金で悩む必要はありません。ここが本末転倒になってしまっているから、世の中には借金のせいで命を断ってしまうような悲しい出来事が往々にして起こるのです。
ただ、それはあくまでもこれから先、社会から一旦自分を切り離して、なんとか命を保ってゆくという生き物の本質の部分でのお話です。人間は社会の中で生きています。だから普通の人生を送りたいと願うのであれば、やっぱり借金問題で悩んでしまうのはしかたないことでもあります。
そして、ここまでお伝えした借金の悩みから沸き起こる思考や感情というのは、実はどんな人でも似たり寄ったりのものなのです。
借金の悩みはみんな同じ
借金の悩みはみんな同じです。仮に少々の個人差があったとしても、借金の返済について覚える感情に何ら差はありません。とくに返済できない債務超過の段階に至ってはまったく同じと言えるでしょう。
もちろん「もう知ったことじゃないよ」と開き直って、いくら借金が増えてももはや考えもしないような人であれば話は別です。しかし、少なくとも返済を続けていたり、また生活の再建を願ったりする意思のある人ならば、お金に関する悩みはほぼ一緒と言っても過言ではありません。
では、債務超過についての感情とは一体どういうものか。今、債務超過で悩んでいるのであれば、一度、自分の胸の裡(うち)に気持ちを向けて、言葉にならないその思いをよく見つめてみてください。
ただし、申しわけありませんが、これはけっして快いものではありません。鉄板の上に心を転がされているような苦しさであるはずです。でも、そのネガティブな思いを直視してみるというのは実は意外に誰もやってないものでもあります。
どうしてわざわざこのようなことを述べたのか。それはこれから起こる債務超過の人の危機を回避するため。借金の返済で苦しむという嫌な感情。そして、今の借金を放置すればするほど、この感情がどんどん増大していってしまうからなのです。
借金はネガティブな感情を増大させる
借金は人のネガティブな感情を日増しに増やしてゆきます。
そしてその苦しみの度合いは、債務者の人間性そのものに直結します。人から借りたお金が返せないから申し訳なく思う。でも、返せるあてがないからどうにも相手に連絡を取ることができない。ときには居留守を使うしかない。そういう情けなさやみじめさと言った思いに駆られる人もいるでしょう。それはとても苦しいものです。
逆に踏み倒しを繰り返し、それに慣れきっている人であれば、苦しさはなくなるでしょうか。いいえ、けっしてそうではありません。踏み倒しに慣れた人の場合、お金を貸したサラ金業者はもとより、踏み倒しをした友人・知人からの激しい怒りを買っていることは間違いありません。
前者の方はともかくも、後者のタイプはお金を借りた相手に心を閉ざしており、心を閉ざしたその結果、債務者から怒りを買ってしまい、現実的に凄まじい取立を繰り返される。そしてそれがますます債務者の心を閉ざしてゆく。大変な悪循環を生み出してしまっているのです。
そもそも借りたお金を平然と踏み倒すということは、相手よりも自分の方が優れているという気持ちがあります。常に相手と優劣を競い、人をだまして蹴落とそうとする。これは快い気持ちか、不快であるかというと実際にはとても不快なものです。
「なんとか戦隊」みたいなものが大好きな幼児のような人間性ならそういうものを「カッコいい」などと思うかもしれません。でも、返す気持ちもないのに借金をして踏み倒すというのは、詐欺師とやって